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  • 子どもと親権第7話:家庭裁判所 離婚調停1回目

    夫婦関係調整(離婚)調停申立書

    調停の申し立ての封筒が届いてから、僕はその紙を持ってN先生のところへ向かいました。
    封筒と書類を見たN先生は、「やっぱり、きましたね」と静かに言いました。
    その日、弁護士費用の契約もしました。
    いっぺんに払うのは正直きつかったので、不安そうにしている僕を見て、N先生は「分割で大丈夫ですよ」と言ってくれました。
    調停で話し合いがつかなかった場合は、その先の裁判もお願いする、というところまで話は進んでいました。
    調停の日までのあいだ、平日はほぼ毎日、昼は本業の仕事、夜はバイトという生活でした。
    バイト先の弁当工場では、毎日大量のご飯とおかずをもらうことができて、本当に助かりました。
    お金のことも、食べることも、とにかく「なんとかしないといけない」という思いで動いていた時期でした。

    離婚調停1回目

    調停当日、N先生と一緒に家庭裁判所へ向かいました。
    前から見たことのある建物でしたが、自分が当事者として中に入っていくのは、まったく別の感じがしました。

    僕はN先生と一緒に、調停室へ案内されました。
    中はがらんとした印象で、机と椅子があるだけの、飾り気のない部屋でした。
    それでも、その部屋に入るとき、胸のあたりがぎゅっと縮むような緊張を覚えました。

    妻とは、最初から別々の部屋で話をすることになっていました。
    妻の側から「同じ部屋だと怖い」といった話が出ていたからだと記憶しています。

    妻の浮気が分かるまでは、強く怒ることもありませんでした。

    それでも、「怖い」という言葉だけが一人歩きしているような感覚がありました。
    実際には、僕が妻に手をあげたことは一度もありませんし、

    子どもの日常の世話も、僕と母で見てきた部分が多かったと思っています。
    妻が子どもの面倒を見ない場面も多く、その分、僕と母で一緒に遊んだり、ごはんやお風呂、寝かしつけや送り迎えをしてきました。
    それでも、調停の場ではそうした話はほとんど出ず、「妻が親権をとる」「夫が養育費を払う」という前提で話が進んでいくように感じていました。
    調停で自分が話したことや相手の主張は、この先もし裁判になったときには、そのまま証拠のように残っていくかもしれない、とも聞いていましたので、感情のままに言い返したくなる気持ちを押さえながら、「ここでは冷静でいないといけない」と自分に言い聞かせていたのを覚えています。

    妻の主張を聞きながら、僕はずっと、自分だけが悪者にされていくような感覚を抱いていました。

    僕のほうから調停委員に伝えたのは、シンプルなことでした。
    妻と子どもに、できることなら戻ってきてもらいたいということ。
    自分に悪いところがあったなら、そこは直していきたいということ。
    それでも、話し合いは平行線のままでした。
    妻は「一緒には暮らせない」「怖い」といった主張を変えず、僕の気持ちとのあいだには、最後まで大きな溝が残ったまま、その日の調停は終わりました。
    調停室を出たとき、何を話したのかうまく思い出せないほど、どっと疲れが押し寄せてきたのを覚えています。

    調停室を出たあと、N先生と一緒に廊下を歩いていると、窓の向こうに妻の姿が見えました。
    妻は、どこか堂々とした様子で、上機嫌にも見える歩き方をしていました。
    僕の前ではほとんど見せたことのない表情で、別人のようだと感じました。
    僕の中では何も解決していないのに、目の前の妻は別の世界を歩いているように見えて、その光景がしばらく頭から離れませんでした。

    廊下の窓ごしにただ見つめることしかできなかった自分の姿も含めて、第1回目の調停の記憶として、今も強く残っています。

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  • 子どもと親権第6話:弁護士の先生と走り出す調停前の1か月

    週一のジョギング

    N先生は、話し方はいつも穏やかで優しいのに、目だけはいつも真剣で、そのギャップをよく覚えています。
    事務所の中だけではなく、一緒にジョギングをしながら話を聞いてもらっていました。
    息が上がりながら、家族のことや子どものこと、これからどうしたらいいのかをぽつぽつと話す時間は、当時の僕にとって貴重な「逃げ場」でもありました。
    N先生からは、「あなたが子どもにとってどんな環境を用意しているのかを、ちゃんと書いておいたほうがいいですよ」と言われました。
    僕がローンを組んで買った家には、母も一緒に住んでいて、子どもが小さいころから一緒に遊んでいた犬もいました。
    小さな家だけれど、子どもにとっては「帰る場所」であり、安心できる場所だったと思っています。
    それから先生は、「子どもを置いて出ていきます」と書かれた紙のことも、しっかり残しておくようにと言いました。
    その紙は、僕はすでに手元に持っていましたが、どこまで証拠になるのか分からず、ただしまい込んでいただけでした。
    N先生は、その紙の内容や日付をきちんと控えておくこと、ほかにも思い当たる出来事があれば、日付と一緒にメモしておくことを勧めてくれました。
    週に一度のペースで、N先生は僕の話を聞き続けてくれました。
    法律の話だけでなく、「ちゃんとやっていきましょう」と言ってくれる大人がそばにいることが、当時の僕には何よりの支えになっていました。

    就職とバイト

    僕はすぐにハローワークにも行きました。
    とにかく収入の柱を作らないといけないと思い、紹介してもらった仕事の面接に行き、内定をもらって働き始めました。従業員も多く、しっかりした会社で、恵まれた職場環境の中で働くことができました。
    昼間はその仕事、夜は弁当工場でも働き、体はきつくても、動いていないと不安で押しつぶされそうでした。

    調停の申し立ての通知が届いた日

    そうやって、昼も夜も働きながら、週一でN先生と話を続けていたころ、妻と子どもがいなくなってからちょうど一か月ほど経った頃だったと思います。
    ポストに家庭裁判所からの封筒が届いていました。
    ついに調停が始まるのか、という気持ちと、本当にここから先が動いていくんだという怖さが、一度に押し寄せてきました。
    封筒の中には、離婚調停の申し立てがあったことと、約一か月後に開かれる第1回目の調停期日の案内が入っていました。
    僕はその一か月を、「調停に向けて準備をする時間」として過ごすことになります。

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  • 子どもと親権第5話:暗闇の中の一筋の光

    兄の言葉と、現実的な一歩


    そんな中、兄が心配して家に来てくれました。
    僕の話をひと通り聞いたあと、兄はこう言いました。

    『諦めないで、まず仕事を探して、地盤を固めたほうがいい』

    そのときの僕は、正直、何をやってもうまくいかないような気持ちになっていて、前向きな言葉を素直に受け取れる状態ではありませんでした。
    それでも、『いまの自分には、何一つ“土台”と言えるものがない』ということだけは、はっきりと分かっていました。

    兄の言葉は、絶望の中で、かろうじて現実に引き戻してくれる一本のロープのようなものでした。

    絶望の中で浮かんだ最後の望み


    絶望のどん底にいたとき、ふと一つのことを思い出しました。
    知り合いだったからこそ、逆に話しづらくて、ずっと避けていた相手がいました。

    それは、僕が以前通っていた空手道場にいた、弁護士の先生でした。
    『最後の望みとして、N先生に相談してみよう』
    そう思ったのです。

    さっそく連絡を取り、知り合いのN先生に会って、これまでの経緯をすべて話しました。
    N先生はしばらく黙って話を聞いたあと、こう言いました。

    『親権を取れる確率は、半々だね』

    その言葉を聞いたとき、『ゼロではない』ということが、僕にとっては大きな救いでした。

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  • 子どもと親権第4話:絶望的な思い

    先輩から言われた言葉と、探偵・弁護士への相談

    相談していた先輩に、『妻に子どもを渡したくない』と正直な気持ちを伝えたこともありました。
    そのとき先輩は、『子どもの幸せを第一に考えたほうがいい』と、静かに言いました。

    頭では、その言葉が正しいことは分かっていました。
    それでも、当時の僕の心の中は、『子どもを取り戻したい』という気持ちでいっぱいでした。

    どうしてもあきらめきれなかった僕は、興信所にも電話をしました。
    いまの状況を説明し、『子供を連れ戻すことができるのか』『親権を取ることはできるのか』を聞きました。

    担当の人からは、『正直、状況的にはかなり難しい』と言われました。
    それでも『可能性はゼロではありません』とも言われ、ほんの少しだけ希望を感じました。

    しかし、調査にかかる金額を聞いて、現実の厳しさを思い知らされました。
    最初からかなり高額で、期間が長くなればなるほど費用はどんどん増えていく。
    さらに、その後に裁判などに進めば、弁護士費用も別にかかると言われました。

    弁護士に相談して突きつけられた現実


    それでも諦めきれなかった僕は、次に弁護士事務所を訪ねました。
    相談料を払い、弁護士の先生に、これまでの経緯と今の状況を詳しく話しました。

    先生は話を最後まで聞いたうえで、はっきりとこう言いました。
    『今の状況では、親権を取ってお子さんと一緒に暮らすことは、まず難しいでしょう』

    その言葉を聞いたとき、望みを完全に断たれたような気持ちになりました。
    必死にしがみついていた細い糸が、目の前でぷつんと切れてしまったような感覚でした。
    胸の奥がスーッと冷えていくような、絶望的な思いでした。

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    子どもと親権 第1話:妻と子どもがいなくなった日

    子どもと親権第2話:行方不明という現実

  • 子どもと親権第3話:連れ去り

    妻のパート先で知った事実


    行方不明になってから一週間ほどたったころ、僕の叔母が家に来ました。
    妻のパート先に知り合いがいるらしく、その人から話を聞いたと言います。

    叔母の話によると、僕が一度、妻のパート先に『妻は来ていますか』と聞きに行ったとき、実はその時点では、妻はそこで働いていたそうです。
    けれど、先方からは『来ていないと言ってください』と頼まれていたと聞かされました。

    さらに、僕がパート先に行った翌日には、妻はその職場を辞めて来なくなった、ということも分かりました。

    その話を聞いたとき、ショックでしばらく何も考えられませんでした。
    『ここまでして僕から隠れようとしていたのか』という思いと、そこまでして子供を連れて行ってしまったことへのやり切れなさが、一度に押し寄せてきました。

    義父への不信感と、続く捜索の日々


    その後も何度か妻の実家を訪ね、義父に状況を尋ねました。
    けれど、義父は『全然知らない』と、あくまで平然とした様子で答えるだけでした。

    僕は、妻のパート先での話を聞いたあと、そのことを義父にも伝えました。
    それでも義父は『俺は知らないから。連絡があったら電話するよ』と言うだけでした。

    その態度を見て、僕は『初めからある程度のことは知っていたから、行方不明でも平然としていられたんだろうな』と感じました。

    それでも僕は、探すのをやめることができませんでした。
    仕事は休みがちになり、会社にも迷惑をかけてしまい、次第に職場に行きづらくなっていきました。
    最終的には、会社を辞めざるをえない状況になってしまいました。

    それでも、子供のことを思うと、毎日のように自転車であちこちを探す日々が続きました。
    手がかりは何一つ見つからないまま、時間だけが過ぎていきました。

    調停かもしれないと知ったとき


    妻と子供がいなくなってからも、僕一人ではどうしていいか分からず、友人や先輩に相談を続けていました。
    相談していた友人もいろいろ調べてくれて、『もしかしたら、親権を取るために調停に持ち込もうとしているのかもしれない』と言われました。

    その言葉を聞いたとき、愕然としました。
    あの日、『子どもは、おいて出て行きます』と言っていた妻が。
    ふだんから子どもの面倒をあまり見ず、話しかけることも少なく、正直、子どもへの愛情が薄いというより「ほとんどないのでは」とさえ思っていた妻が。
    そんな相手が、親権を取るために動いているかもしれない。

    当時の僕は、『調停』という言葉の意味すら知りませんでした。
    『親権を取るために調停に持ち込む』と言われても、具体的に何が起こるのか、何をされるのか、まったくイメージがつきませんでした。

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    子どもと親権 第1話:妻と子どもがいなくなった日

  • 子どもと親権第2話:行方不明という現実

    鍵を見つけた夕方のこと


    出張から帰ってきた日の夕方、玄関の前で足が止まりました。
    ドアの前の地面に、家の鍵が置かれていたからです。

    今まで一度もそんなことはなかったので、瞬間的に血の気が引くような感覚になりました。
    何かがおかしい。
    そう思いながら、すぐに鍵を拾って玄関を開け、家の中に入りました。

    嫌な予感は、すぐに現実になりました。
    家の中に、妻と子どもの姿はどこにもありませんでした。
    妻の携帯電話に何度か、かけてみましたが、まったくつながりません。
    置き手紙も、メモの一枚さえ残されていませんでした。


    しばらくすると、同居していた僕の母が外出から戻ってきました。
    母も、妻と子どもがどこへ行ったのか、何も知りませんでした。

    夜になっても、妻と子どもは帰ってきません。
    不安に耐えきれず、妻の仲の良い友人たちに電話をしましたが、誰も行き先を知りませんでした。

    『出て行ってしまったのかもしれない』
    『それとも、何か事件に巻き込まれたのか』

    頭の中で最悪のパターンばかりが浮かびましたが、答えは一つも出てきません。
    何も分からないまま、その夜は一睡もできずに朝を迎えました。

    お盆休みの捜索と警察への届け出


    ちょうどその翌日からは、夏のお盆休みに入っていました。
    朝になるとすぐに自転車に乗って、思い当たる場所を片っ端から回りました。
    妻が好きだった場所、よく子どもと一緒に行っていた場所、友人の家の近く…。
    とにかく何か手がかりが欲しくて、いろいろなところを自分の目で確かめて回りました。

    そんな中、妻の友人から、心配して僕の携帯電話に連絡をくれる人もいました。
    みんなで心当たりを探してくれましたが、それでも行き先の手がかりは何も見つかりませんでした。

    最終的に、僕は警察に行き、行方不明者届と捜索願を出しました。
    けれど、警察からは『今のところ事件性がないので、こちらから積極的に動くのは難しいです』と言われました。

    それから、眠れない日が続きました。
    翌日には、妻のパート先にも足を運び、『仕事に来ていないか』を確認しましたが、『来ていません』とだけ告げられました。

    行方不明になってからの一週間


    その日から、僕は毎日のように自転車で妻と子どもを探し回りました。
    思い当たる場所を一つずつ回ってみましたが、どこにも二人の姿はありませんでした。

    妻の実家にも足を運び、義父に『何か知っていませんか』と聞きましたが、『知らない』と言われただけでした。

    連休が終わり、仕事が始まってからも、正直、仕事どころではありませんでした。
    会社には事情を話して休みをもらい、僕は毎日のように二人の行方を探しました。

    子供が通っていた幼稚園にも行き、『登園していませんか』と聞きましたが、『来ていません』と言われました。
    幼稚園に行くのが嬉しくて、毎日楽しみにしていた子どもが、その大好きな場所に行けていない。
    そう思うと、胸が締めつけられて、自然と涙がこぼれました。

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    子どもと親権 第1話:妻と子どもがいなくなった日

    子どもと親権第4話:絶望的な思い