週一のジョギング
N先生は、話し方はいつも穏やかで優しいのに、目だけはいつも真剣で、そのギャップをよく覚えています。
事務所の中だけではなく、一緒にジョギングをしながら話を聞いてもらっていました。
息が上がりながら、家族のことや子どものこと、これからどうしたらいいのかをぽつぽつと話す時間は、当時の僕にとって貴重な「逃げ場」でもありました。
N先生からは、「あなたが子どもにとってどんな環境を用意しているのかを、ちゃんと書いておいたほうがいいですよ」と言われました。
僕がローンを組んで買った家には、母も一緒に住んでいて、子どもが小さいころから一緒に遊んでいた犬もいました。
小さな家だけれど、子どもにとっては「帰る場所」であり、安心できる場所だったと思っています。
それから先生は、「子どもを置いて出ていきます」と書かれた紙のことも、しっかり残しておくようにと言いました。
その紙は、僕はすでに手元に持っていましたが、どこまで証拠になるのか分からず、ただしまい込んでいただけでした。
N先生は、その紙の内容や日付をきちんと控えておくこと、ほかにも思い当たる出来事があれば、日付と一緒にメモしておくことを勧めてくれました。
週に一度のペースで、N先生は僕の話を聞き続けてくれました。
法律の話だけでなく、「ちゃんとやっていきましょう」と言ってくれる大人がそばにいることが、当時の僕には何よりの支えになっていました。
就職とバイト
僕はすぐにハローワークにも行きました。
とにかく収入の柱を作らないといけないと思い、紹介してもらった仕事の面接に行き、内定をもらって働き始めました。従業員も多く、しっかりした会社で、恵まれた職場環境の中で働くことができました。
昼間はその仕事、夜は弁当工場でも働き、体はきつくても、動いていないと不安で押しつぶされそうでした。
調停の申し立ての通知が届いた日
そうやって、昼も夜も働きながら、週一でN先生と話を続けていたころ、妻と子どもがいなくなってからちょうど一か月ほど経った頃だったと思います。
ポストに家庭裁判所からの封筒が届いていました。
ついに調停が始まるのか、という気持ちと、本当にここから先が動いていくんだという怖さが、一度に押し寄せてきました。
封筒の中には、離婚調停の申し立てがあったことと、約一か月後に開かれる第1回目の調停期日の案内が入っていました。
僕はその一か月を、「調停に向けて準備をする時間」として過ごすことになります。
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